手にとって確かめられる種類のもの

僕は車に乗っていると傲慢になってしまうことを説明する 実家の自動車を手放すことになった。乗る人がいなくなれば、乗られるものはいらなくなる。 数えてみると3台もあった。本当にいらないのか、と叔父は僕にたずねる。 夏至を過ぎたばかりの空気は生ぬる…

優秀なる彼の、人生の幅

自分の人生の幅が見えた、と彼は言った。 彼はとても優秀だった。とても優秀であり、すこし孤立していた。彼はそういう種類の優秀さの持ち主だった。「はば?」と僕は訊く。そう、幅、と彼は答える。 『俺は自分が、一般的に見て優秀で、有能であると知って…

無邪気な人間

彼は無邪気だった。 彼のことを気に入った人たちは、彼が驚くほどの熱意をもって彼に執着した。 彼に対して、何度も「あなたが好きだ」と伝えた。 彼のことを気に入らない人は、彼の前でも平然と「あなたが嫌いだ」と言った。 彼に会うたびにその人たちは、…

手紙

わたしが生きている間に、あなたがこの手紙を読んでいるということはないでしょう。だからわたしはもう、その世界にはいないのでしょうね。あまり苦しまずに死んだのならいいなあ、と思います。とは言え、今までの人生で苦しむことが少なかったので、死ぬ時…

がんばらないでいい、という思想

以前は「がんばりすぎないようにね」「がんばらなくていいよ」と人に言われても気にしなかった。最近はその言葉を聴くと、すこしつらくなるのを感じる。たぶん、自分が狭量になったんだ、と思う。がんばらなくていいよ、という言葉で楽になれない。人に「が…

くだらない名前

なんで星座ってあんなにあるの、と彼女は訊いた。『だって多すぎて憶えられないうえに、くだらないものまであるじゃない。かみのけ座とか、さんかく座とか。私はあまり知らないけど、そういう名前を聴くだけで、疲れが湧いてくるような名前の星座があるでし…

善人の世界で生きる人々

-まるで異国のようだ、と僕はおもう まるで異国のようですね、と僕は隣にいる人に声をかける。彼はすこしのあいだ、自分に声が掛けられてることに気付かなかったが、すこしして『そうかもしれないです』と笑顔でこたえる。そうかもしれないです、この店に来…

りんご嫌いの、ひねた子

とりわけ重要な象徴のひとつ りんごが悪魔の実なんて、と彼は言った。それほどおいしくもないじゃないか、あんなものと。僕はべつにりんごの肩を持つわけではないけれど、きらいでもないし、どちらかと言えばりんごはおいしいと思っていたからなにも言わなか…

自分の中の水分を出す

僕は日本語が苦手だ。なにも考えずに書くと、しょっちゅう「てにをは」を間違えるし、よく的はずれな修飾語がでてきて文章を混乱させる。さらに言うと(自分の文章だからどれだけ言ってもいいので安心だ)、よく主語を抜いたままで話をすすめてしまうし、述…

自分の意思で動かなくなる時計

-彼が嫌な人間だなあと言うと、彼女はうん知ってると言う 『ねえ本当にいま生きているのは君がいたからだよ、と言われた。なにがあったのかはおぼえてない。なにがあったんだろうと訊くが答えはかえってこない。俺はいやな人間だなあと言うと、彼女はうん知…

可能性のない世界で橋の上を歩くこと

それなりに頑丈な、世界ができたときからあるような構造物 その橋の上を歩いていると、川に飛び込んでしまう気がした。その橋は通路がせまかったが、子どもが二人並んで歩くくらいにはなんともなかった。なにかのバラエティ番組に出てくるほど古びているわけ…

今日はもう仕事をしたくないような良い天気ですね

あいさつは言葉を省略してできている、と子どもの頃に教えられた。 おはよう、こんにちは、こんばんは。 おはやくお出かけですね、今日(こんにち)は暑いですね、今晩はお忙しくありませんか。そういうのを思い出すと単純でものぐさの僕は、なんで定型句はこ…

手にとって確かめられる種類のもの

僕は車に乗っていると傲慢になってしまうことを説明する 実家の自動車を手放すことになった。乗る人がいなくなれば、乗られるものはいらなくなる。数えてみると3台もあった。本当にいらないのか、と叔父は僕にたずねる。 ええ、もう必要ないです、もともと…

酋長になるということ

その日は何人かで運動をしたあと、汗を流すために温泉へ行った。急に決まったことであったので都合がつかない者もいてけっきょく3人でいくことになった。一人が車を出して、温泉へ向かう。 そこにはいろんなタイプの湯があり、外には露天風呂があった。めい…

空を見上げて興味深いなにかがあるかのようにゆっくり歩くこと

比較的ものごとを楽観的にとらえる傾向がある。それはおそらく僕の環境によるものだとおもうのだけど、ふとなにもかもをこなせるような気がしてしまう。それは気分がわるくなるものではないんだけど、もちろん僕になんでもできるわけではない。だからときど…

彼女の使命感

本当になんにもおぼえてないんですね、と彼女は言った。 はじめて卵が孵化する瞬間をみた子どものような表情をつくりながら、あけっぴろげにそう言った。もともと感情表現が豊かなのだろう。その表情には何度もおなじ動作を繰り返してきたような自然さと、そ…