善人の世界で生きる人々

-まるで異国のようだ、と僕はおもう
まるで異国のようですね、と僕は隣にいる人に声をかける。彼はすこしのあいだ、自分に声が掛けられてることに気付かなかったが、すこしして『そうかもしれないです』と笑顔でこたえる。そうかもしれないです、この店に来るのははじめてですか、と。


そこは関東一円にあるラーメンチェーン店のひとつで、とにかく量が多くてあぶらっこくて、店がせまくて人口密度がたかい店だった。中にいる客はなにもせずに、ただ待っている。食べに来ているだけだから、それ以外のことはしないという哲学をもっているようだ。誰もが注文のときになると、ぼくには分からない種類のことばを並べた。にんにくやさいましましからめで。


-彼はなんてもったいないという表情をつくる
さきほどの彼がした質問に対し、「数年前に一度きたことがある」とこたえる。「数年前に来たんだけど、もう覚えていないんです、戸惑っています」。彼はなんてもったいないという表情をつくって、それならここのシステムについて説明しますと言ってから説明をはじめた。たしかに一風変わったシステムだった。


話を聴きながら、なんて気持ちのいい人なんだろうと僕は思う。ときどきこういう気持ちになる。いまの世界には気持ちのいい人しかいなくなって、僕がおもう悪人なんていないんじゃないだろうかと疑ってみる。いままで僕は、世界中の人の両手をかりて、すべて指折って数えてみても足りないくらいたくさんの迷惑をかけた。知っている人にも、知らない人にも、ひとしく迷惑をかけてきたのだけど、みんなとても親切にしてくれた。もしかしたら親切なひとしかいないんじゃないだろうか。そう想像する。


-善人の世界で生きること
もちろんそんなことはない。世の中には価値観のちがう人たちがたくさんいるし、そのなかには僕が悪人と断ずる種類のひともいる、一般論として。それでもその店の中での水のつぎ方や皿の下げ方などを、すこし得意そうに話す彼をみて、僕の想像があっているといいなあと思う。そういう世界であってほしいなあ、と。


食べ終えたあと僕は、自分がおもっているよりもおおきな声で、ごちそうさまでした、と言う。すこし気恥ずかしかったが、店の人がもっとおおきな声でありがとうございましたというので、もういちどごちそうさまとこたえた。